6000万円ローン地獄の日々

子供1人。世帯収入900万で2017年マイホーム購入予定。ローン地獄の日々と節約生活公開!

実家のこと

私の実家は父、母、弟がいます。

 

共働きで世帯年収

おおよそ1200万円。

注文住宅で車2台。

年に2回旅行に行ってました。

私も弟も大学に行きましたが

奨学金なしで通うことができました。

 

外部の人から見たら

『ごく一般的な家族』

『裕福な家庭』

なんでしょうね。

 

しかし、私は全く

幸せではありませんでした。

 

 

兄弟間差別をされていたからです。

 

弟は私より

頭もルックスもよかったです。

だから弟は友達も多かったし

母親は溺愛してました。

 

父親は帰りが遅いので

育児はほぼ母親がしていました。

しかし、母親の関心は弟ばかり。

 

寂しかった、、

 

私は母親のご機嫌をとるために

お手伝いもめっちゃしたし

約束も守りました。

『ありがとう』

『頑張ったね』と言われたかった。

 

でも全部無駄でした。

 

体調悪くてお手伝いできなかったら

怒られました。

私がしてるお手伝いは当たり前で

ごくたまに弟がするお手伝いには

とても褒めていました。

 

外で弟が褒められると

母親は嬉しそうでした。

私の存在は無視されていて

本当に消えたくなりました。

 

弟がスポーツを始めると

両親はつきっきりでした。

毎週末は3人で出かけていました。

両親がつきっきりにならないと

務まらないスポーツなので

仕方ないと割り切ってきました。

しかし帰ってきて出迎えると

弟が試合に負けたという理由で

八つ当たりされました。

 

家族内での会話は

弟のスポーツの話で

私は会話に全く入れませんでした。

家ではテレビを見て

気を紛らわせていましたが

外食中はただ静かに食べていました。

 

家族3人は早食いだったので

私はいつも『遅い』と怒られました。

そのせいか早食いするくせが

今でもあります。

味わう時間なんてなく

早く食べることだけでした。

 

3人がリビングで

楽しそうに話していると

リビングに入れませんでした。

階段で泣きました。

 

母親は弟が抱きついて寝てくると

嬉しそうに話していました。

私が甘えると『気持ち悪い』と

言われました。

 

希望していた進路を

母親に反対されて

母親の決めた進路へ。

勉強頑張って推薦で合格しました。

『おめでとう』といってくれなかった。

大学合格してからずっと

『あんたにどんなけ

お金かかってるかわかってる?』

『あんたはお金を食べるから

未年なんやな』

言われていました。

父親には

『金食い虫』と何度も言われました。

欲しいものも言えなかったし

お年玉もお祝い金も

すべて回収されました。

そのお金も返ってきません。

学費に使うなら

何かに使うなら

一言言ってほしかった。

 

家の中の飾ってある写真は

弟ばかりでした。

私が写ってるのは1枚程度。

アルバムも1冊多い程度。

 

母親は家事が苦手でした。

部屋は散らかっていて

友達を呼べませんでした。

外食やお惣菜が多く

野菜はほとんどなかったです。

出てくるとしたら

野菜を塩コショウで味付けした

野菜炒め。

ただ野菜の臭い匂いと

塩コショウの味。

それでなのか私は

苦手な野菜が多かったです。

中学からお弁当だったのですが

母親が作るお弁当は汚かったです。

友達のお弁当が羨ましくて

お弁当を隠しながら食べていました。

 

 

実家に居場所がなく

愛情を感じられないまま育ちました。

ほぼ毎日お風呂か自分の部屋で

声を押し殺しながら泣いていました。

 

ずっと喉に何かがつっかえていて

胸が痛かったです。

 

私は自己肯定感が低く

自分が大嫌いになりました。

 

何度も何度も自殺未遂をしました。

リストカットもしました。

飛び降りようとしました。

包丁を自分の方に

向けたこともあります。

 遺書も書きました。

妄想の中で何度も死にました。

 

私は自分が悪くなくても

自分が悪いと思うようになりました。

言い訳しても

弟との喧嘩は私が悪いし

母親は絶対謝りません。

一言いうと永遠に怒られました。

 

『自分が我慢して謝る』

ということが最良の方法でした。

 

すべてにストレスを感じ

私は大学生のとき鬱病になりました。

親は絶対に大学を辞めされてくれなくて

何度もその後再発しました。

もちろん就職してからも

再発しました。

 

就職してから

一人暮らしをしていましたが

上司の勧めもあり

休職中は実家に帰ることに。

鬱病不眠症

朝起きるだけ、夜寝ることだけで

一苦労する毎日。

テレビも見れない

太陽の光も見れない毎日でした。

 

そんな私に母親は

『一日中家におるんやったら

洗濯物と食事作ってな』と。

そんなことだったら

実家に帰らなかったと思いました。

一人暮らししていた方が

洗濯物も食事も

1人分で済むと思いました。 

 

私はここから出たいと思い

必死に鬱病とたたかいました。

そして、薬を断つことができました。

 

そんなときに旦那と出会い結婚。

 

旦那は下を向いてた私を

上に向かせてくれ

笑わせてくれました。

 

そして、自分の両親が毒親だということ

普通の親ではないことを知りました。

 

 

 

 

子供は親を選べません。

私は子供を愛してくれる親の元に

生まれたかった。

大切にしてくれる親がよかった。

 

私のこの性格は

家庭環境のせいかどうかは

わからないけど

親のせいで生きにくかったのは事実。

今でも夢でみると

思い出して泣いてしまうし

縁は完全に切れません。

 

私は愛されて育ってないから

両親を育児のお手本に

することができません。

何が正しいかはわからないけど

ただ、息子には

自分が愛されていると実感してほしい。

模索しながら

育児してる毎日です。